清正の霊魂に守られる金鯱?と名古屋城本丸御殿

 

どえりゃあことよ、金鯱に手を触れたものは、末代まで凶運に見舞われるそうな

 

日本列島 名城の謎 平川陽一編 トラベルジャーナル

 

ちょうど名古屋城へ行ったその日、目についた一冊の本。つい先ほどまで眺めていた金鯱の話がある。興味深々読み進めた。

 

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徳川家康は九男義直を領主に、尾張の地に新城の築城を西国大名たちに命じた。築城名人だった加藤清正もその一人。あくまで豊臣家への忠誠心から、家康のご機嫌取りにこれはいいと作ったのが金の鯱だった。豊臣家を滅亡させまいと、徳川と和議を結ばせるよう奔走した清正ではあったが、その甲斐なく大阪城は落ち、豊臣滅亡に至ってしまう。その時すでに旅立っていた清正はあの世でそれを知り、怒った清正の霊魂が名古屋城へ舞い戻り金鯱に住みついた、というのだ。

そんな祟りの噂のせいか、昭和の太平洋戦争で焼け落ちてしまうまで、屋根の上で手に触れられることもなく光を放っていた金鯱ではあったが、やはり例外もあったようで。

1712年のこと、大凧に身を張り付けて空からやってきた金鯱泥棒。棒の先で金箔をはがしまんまと盗みとる。さすがの清正にもどうすることもできなかったのだろうと城下をにぎわせたそうだ。昭和12年に現れた盗人は、あっという間に御用となった。やはり清正が逃がさなかったのか。 

真相はいかなるものか、清正さん・・そんなことを思いながら本を閉じた。 

 

現在の金鯱が清正に守られているのかはさておき、そんな金鯱がシンボルの名古屋城を少しばかり案内してみたいと思う。

 

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名古屋での用事の合間に3時間ほどの時間ができた。そうだ、名古屋城へ行こう!と思い立ち車で移動した。最後の方は少しばかり急ぎ足ではあったが、駐車場へ着き、駐車場へ戻って来るまで、実質1時間30分程度の見学の内容である。

 

名古屋城の開園は朝9時からだ。正門前駐車場に着いたのは、9時10分くらいだった。平日ということもあって、さすがに車も少なく、駐車場はガラガラ。人もまばらだ。

ただし、戻ってきたとき(10時40分頃)には、7~8割くらいは車が入っていた。やはり早い時間帯がいい。

早速チケットを購入、場内へと進む。

 

天守閣と西南隅櫓

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本丸御殿

本丸御殿は平成20年から着手した復元工事が進められている最中だ。

まだ全体公開には至らないものの、すでに多くの間が公開されているので十分に見ごたえはある。工期10年、総事業費約150億円をかける期待の本丸御殿を見てみよう。

 

車寄

平民の私達はここからは入れない。あしからず・・

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本丸御殿のそばまで行くと係員の方が「本丸御殿はこちらです。お入りください。」と案内してくれた。入口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、靴は鍵付きのロッカーへ。

ここでは以下のことに注意が必要だ。

・靴下の先に小さな穴ならまだしも、親指がまるごと出てしまうような穴が開いていては恥ずかしい。当日の靴下選びは慎重にすることをおすすめする。

・裸足の人は履き替えたスリッパでどこかの誰かの水虫をもらってはならない。まして、ご自身の水虫もうつしてはならない

 

荷物もリュックやショルダーバッグなど、御殿を傷つける恐れのある荷物はロッカーに預けるようになっているようだ。私はショルダーバッグではあったものの、肩紐が短かったからか「ショルダーバッグは前の方でお持ちください」と言っていたので、そのまま預けずに進んだ。ブラブラと肩紐が長いようなものや、硬そうなものでなければいいのだろうか?

ちなみに荷物を預けた人が、あとから写真を撮ろうとして、預けた荷物にスマホを入れたままにしていたため撮ることができないとぼやいていた。

本丸御殿内ではフラッシュを使わない撮影はOK。写真を撮りたい人はカメラを預けないように注意が必要。

・自撮り棒は「御殿を傷つける恐れのある荷物」に含まれるかは不明だが、長くて硬そうなので慎重に扱う必要がありそうだ。

 

さっそく中へと進む。

真新しい桧がきれいだ。木曽地方などの最上級の桧が使われているのだとか。

桧は伐採してから200年も強くなり続ける木なので、まだまだこれからだ!

 

玄関一之間(竹林豹虎図)

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キンピカな部屋。障壁画には迫力の虎や豹。

訪れた人を威圧するために玄関に描かれている豹虎図ではあるが、なぜ豹と虎?って不思議ではなかろうか。

実は当時の人たちは、雄が虎、雌が豹と思っていたらしい。と、いうことは下の写真に描かれているのはファミリー?この理屈からいくと、子豹は雌ということになる。

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天守閣に飾られてあった絵がここの障壁画の絵のようだったので参考に。(下の写真)

子豹を舐めるの親豹の優しい表情がわかる。子豹も可愛い。

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表書院三之間(麝香猫図)

こちらのお部屋には猫様が。ここもまたキンキンピカピカ。

猫様と言っても、”ジャコウネコ”だ。なぜジャコウネコなのか?まさか!あの禁断のコーヒーを飲んでいたのか?!

いやいやそうではない、当時の日本では高貴な生き物と考えられていたようだ。

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表書院一之間(花鳥図)

川のほとりに集まる鳥たちの部屋。桜の花も。

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対面所上段之間

京都の名所、人物が描かれている。高位の人使う部屋だ。

ここは天井も黒漆が塗られていてたり、障壁画の色彩も豊かで品格が漂っている。

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飾り金具もこの通り、手が込んでいる。

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障壁画は、狩野貞信や狩野探幽などの「狩野派」絵師たちによって描かれたものということで、なんとも素晴らしいのだが、それを模写した現代の方々もそれはもう素晴らしいと感じた。

 

本丸御殿の実物は、写真よりもっともっと金ぴかで色鮮やかだった。

是非その目で確かめてほしい。

全体が公開されるのは平成30年の予定。 

 

写真がたくさんになってしまったので、天守閣は次の機会につづく。