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ラマダン(断食月)を体験してみた話。

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ラマダンって?

 

ラマダンをご存知だろうか。イスラム教の断食月である。

 

2016年の今年は、6月6日からはじまる予定だ。イスラム暦(ちなみに今年は1437年)は太陰暦のため、太陽暦と比べ1年に11日ほど早まるので、ラマダーンは毎年始まる日が違うのだ。日本で言えば、ここ数年は、もっとも厳しい季節だっただろう。エジプト出身の大相撲力士である大砂嵐も大変だと、TV等でもよく言われている。

断食は夜明け(ファジルの礼拝時刻)から日没(マグリブ)までの時間、飲まず食わずで過ごさなければならない。空腹はまだしも、夏場は特に喉の渇きがかなりキツイ。まさに干からびるという表現が合っていると思う。これを30日間繰り返す。

断食と言っても、人によってはいい加減な人もいれば、唾さえ飲み込まないと言う人もいる。私が知っている中にも、全く断食しない人、子供の頃から毎年1日もサボったことはない人、肉体労働なので仕事の日は断食せず休日だけ行うという人、さまざまだ。

日本では夏になると、脱水症にならぬよう、水分補給を促す声があちらこちらから聞こえるので、水分をとらないで大丈夫なものかと心配になるが、やはり昨年、パキスタンでは熱波に見舞われ脱水症で多くの方が亡くなっている。

国のほとんどの国民がムスリムイスラム教徒)のエジプトなどでは、ラマダン中は昼間の仕事の時間が短縮される所も多い。みんな日没が待ち遠しく、そわそわしている。そして夕方になると、家へ帰る車で交通渋滞が起こる。日没後はイフタール(夕食)を家族や友人と楽しむのである。

誰かを招待したり、招待されたり、貧しい人に食事を提供したりするのだ。

 

ラマダンをこんな風にやってみた

 

ランダンを必ずやり遂げようと思った理由は「外国人には断食は難しいよ」と、あるムスリムに言われたことだ。この「外国人」とは非ムスリムという意味なのだが、イヤイヤ、日本人にだってそのくらいの根性はあるさ、と証明したかったからである。なんとも情けない理由ではじめてしまったわけだが、いろいろと考えさせられる機会になったので、それはそれで良かったのだと思うことにしている。

 

ラマダン中、一般的には夜明け前に食事を済ませ、ファジルのお祈りをし、日没まで断食に入る。夜明け前、といえば真夜中である。眠い目をこすりながら、半無理やり食べる。そして、また少し寝て、仕事に行き、帰ってきて日没が過ぎれば食事をとる、というわけだ。最初はこのようにしていたものの、正直これでは昼間眠くなりすぎるのである。それに、早朝はお腹も空いていないので、無理やり食べるのもいかがなものかと思い、夜明け前の食事はやめることにした。1日1食なのだから、やせるのではと思われるが、また食べられなくなると思うとつい、ドカ食いしてしまう。ラマダン中に太るムスリムが多いのも納得できる話である。

日没の時間がくると、先ずは水分補給。とりあえず飲みたい!のである。体が糖分を欲しがっているようで、お茶やお水ではなく、甘いフルーツジュースが飲みたくなる。食事の前に乾燥デーツ(ナツメヤシの実)を食べるのだが、これがまた甘い。砂糖漬けにされているのかと思うほど甘いが、自然の甘さなのだというから驚きである。私は1個食べれば十分なのだが、これをいくつもパクパク食べてしまえる人種もいることをお伝えしておきたい。

 

実際にやってみて感じた事

 

ラマダンを始めて、最初の数日が一番きつい。それが、何日か過ぎるころには結構慣れてくる。考えてみれば、生まれてからこんな風に飲まず食わずで過ごしたことなど記憶にない。食事もとらずに遊びほうけていたことはあるが、さすがに喉が渇けば何か飲んでいた。

日没が過ぎれば、飲んで食べる事ができるということがわかっているので、我慢することもできるのだが、先がわからない状況だったらと思うとそれは本当に苦しいと思う。

いつでも自由に飲んだり食べたりできる事が、どれだけ恵まれているのかを実感した体験であった。それにもかかわらず、お腹が空いているわけでもないのに何となくお菓子を食べてみたり、満腹で動けなくなるほど食べてみては、痩せたいといってダイエットする。そんな矛盾する自分があまりにも悲しく思えた。そう、思えたはずなのに、結局いつの間にかまた同じことを繰り返している。

一年に一度、ラマダンというのは、ダラダラした自分を戒め、日々のありがたさを思い起こし、苦しむ人の気持ちに寄り添う事のできるいい機会だと思った。